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攪拌する記憶 秋元菜々美





 福島県双葉郡富岡町夜の森。碁盤の目のように区画整理されたニュータウンに住んでいたころ、よく行く友達の家があった。その友達はりっちゃんという名前で、幼稚園の頃に近所に引っ越してきた。大通りから少し路地に入った場所にりっちゃんの家はあり、周辺には自然が多く残っている。杉林に囲まれた急な坂を下ると小川が流れ、その周囲には田んぼが広がっていた。りっちゃんの家はお父さんの趣味でリノベーションされている。白く塗られた玄関先と対照的に、倉庫のあたりは色の異なるトタンが張り合わされていて、無骨でチグハグな風貌の家だった。花壇のバラとハーブが香るその家では、玄関先にある背の低い松の若木の近くに小さな池があって、そこで金魚を育てている。定期的にウサギをリードに繋いだまま外で遊ばせて、いつもは室内で飼っているインコも鳥籠に入れたまま庭のテーブルに出してあげていた。

 小学生の時りっちゃんの家に行くと、ウサギを外で遊ばせる日と重なったことがあった。ウサギは外に出ると土を掘って自分の場所を確保する。生の草はお腹を下しやすいようで、夏草でもできるだけ干してからウサギにあげていた。季節は二月で、伸びっぱなしだった背の高い草はすっかり乾燥していた。ウサギはその枯れ草に噛みつき、引きちぎっては歯ですり潰し、いそいそと咀嚼する。コロコロの糞を排出し、時折前足で砂をかけて隠す。そんな様子が可愛くて、私たちは遠くの空き地から草を摘んできてはウサギにあげていた。その日余った草は、一部天日干し用に保存して、いつかウサギのおやつになる。そのほか余った草は、庭の端に置いてあるコンポストに入れていく。既にコンポストに入っている野菜の皮や残飯は腐敗し、寒さの中でムワッと熱と湿気の混じった臭気を放つ。息を止めてすぐさま中に草を入れないと、その匂いは鼻にこびりついてしばらく離れない。私たちが草を入れ終えると、りっちゃんのお父さんはコンポストに米ぬかと土をかけて攪拌していく。漂ってくる匂いに嫌な顔をする私に、りっちゃんのお父さんは「菌は私たちと共にある。私たちの体の中にも無数の菌が棲んでいて、空気にも土にも含まれるあらゆる菌が、私たちの生活を守ってくれることもあるんだよ。」と、目には見えない微生物のことを教えてくれた。攪拌し空気を送ることでコンポストにいる微生物が活性化し、満遍なく発酵が進む。その頃は、なんだか汚くて残酷に見えていたけれど、この循環によって豊かな環境が育まれることをその後も私は度々思い出した。  草を刈った地面を鍬で掘り返していく。寒さで凍った土は硬い。鍬の先端で土に少しの隙間を作り、そこをほじくるように掻き出した。すると次第に土の断面が現れる。掻き出した土は手の温度で温められ液体が染み出してくる。土には石や草、種子などが混じっていて、種子からは既に芽が殻を突き破り始めているものもあった。もう少し掘り進めると、ミミズや冬眠中の幼虫の他に、瓦やプラスチック片、発泡スチロールの欠片、金属片、ガラス片もある。私がりっちゃんに「こんなところにゴミを捨てちゃだめだよ」と言うと、りっちゃんのお父さんは「僕たちの使っていたものが落ちてしまったのかもしれないね。でも、もしかしたら僕たちの前に住んでいた人のものかもしれないし、この空き地に家が建っていた頃に住んでいた人たちのものかもしれないね。土の中にはそういったものたちも眠っているんだね。」と言った。掘り出してしまった虫たちはできる限り遠くへ放ってあげるようにしていたけど、鍬で真っ二つにしてしまうこともあった。滴る汗が地面に浸透していく。枯れ草の茎や根が、掘り出したものたちに混じりあい、鍬でさらに細かくほぐしていく。このあたりの土は粘り気があって、バラバラだった種子も虫も草もプラスチックもガラス片もウサギの糞も、目には見えない微生物もきっと、あっという間に一つの賑やかなまとまりになっていく。遊んでいると柔らかくなった土に足を取られ、重みで地面は圧縮される。いつしか乾いて固まって。この日地中数センチを覗き見た時から、私たちの遊び場は以前より愛着の湧く凹凸だらけの場所になった。  2011年3月11日、私とりっちゃんは公園で遊んでいて、地震の後、通っていた中学校の体育館に避難し、家族の迎えを待った。日が暮れた頃に家族が迎えに来ると「また明日ね」といって、手を振り合った。12日の早朝には、私の家もりっちゃんの家も人が住めない場所になった。バラバラに避難をした私とりっちゃんは、半年後に再会することができた。りっちゃんのお父さんは避難指示の最中、仕事で町内に残っていて、原発が爆発する音を聞いたという。放射性物質は風で流れ、雨によって地面に落下し、水と共に流れ滞留し土に吸着する。残された家畜やペットには餓死するものも、野生化するものもいた。避難指示の前には見られなかった狐、狸、イノシシなども山から下りて、住宅地に出没するようになった。やがて動物たちは食料を探して民家に入り、手入れのされない草木は民家を覆いつくす。それら草木を動物が食べ、その動物の死骸を食べにまた動物がやってくる。この場所に棲まうものたちの時間は人間が不在の間も動き続けていた。避難の時間が長くなるにつれ、りっちゃんと連絡を取る機会は減っていった。だから、あれからりっちゃんの家族がどんな生活をしているか私は知らない。夜の森の自宅に一時帰宅した折、りっちゃんの家にも立ち寄って様子を見た。避難指示が出されていた間もしばらくは手入れされていたはずの庭も、次第に手を入れられなくなっていった。雑草に覆われ、背の低かった玄関先の松の木は、すでに家の高さを越すほど大きくなっていた。  私の家はというと、2016年頃まで掃除をすれば一応住めるくらいには綺麗な状態に見えた。しかし、次第に雨漏りで床は腐り、いつしかハクビシンの家族が屋根裏に住むようになり、私たち家族の足は徐々に遠ざかっていった。  2017年12月12日、私の家は解体作業の只中にあった。夜の森でも2023年の避難指示解除に向けて放射性物質の除染作業が始められ、平日にはあちこちで重機が重低音を響かせていた。家屋の解体で出た特定廃棄物は、可燃物と不燃物に分けられ、仮置き場に保管し、線量に応じてさらに分別される。8千Bq(ベクレル)/kg(*1)以上、10万Bq/kg未満の可燃物は焼却後、その灰をセメントで固められ、不燃物はそのままの形で、それぞれ旧避難指示区域の山間部に埋立処分されていく。また、10万Bq/kgを超える特定廃棄物と、線量にかかわらず除染された土は中間貯蔵施設(fig.1)へと運ばれる。  庭の方から家を見るとすでに壁は半分壊され、かえって家の間取りがよく見えた。避難の時間が長くなるほどに、震災前の町を忘れていくような気がしていたが、家の骨格が露わになった時、私がこの家で過ごしてきた生活のことを思い出さずにはいられなかった。リビングの柱で誕生日に身長を記録した傷や、畳にこぼしたコーヒーの染み、雑誌についてきたシールもまだ柱に残っている。油圧ショベルが家に噛みつき、引きちぎる。壁や柱などの大きなものは細かく砕き、フレコンバックに詰める。重機の響きは私の骨格を伝い、私の輪郭を震わせる。私はもう少しだけ家に近づきたくなって、防護用のマスクを外した。すーっと体内に深く冷たい空気を送り込む。家を見ていた私がいつしか家に浸透し、暮らしの情景をあちこちで再生し始める。砕かれた家の柱や壁のほか、家に残されたぬいぐるみやアルバムや服など家主が置いていったものたちは、特定廃棄物になり次々に運搬されていく。  土壌の除染では、表土5cmを削り取ることで放射性物質を取り除いた。代わりに山から運ばれてきた見慣れない黄色の土と砕石が敷き詰められていった。「土壌」とは、今から五億年ほど前に、岩石の風化によって砂や粘土が生まれ、生物遺体が堆積した混合物だ。土の生成速度は遅く、百〜千年で1cmの土しか生成しないと言われる。(*2) 除染土壌である表土5cmには、避難者約16万4千人の過ごした時間だけでなく、ここに生きたものたちの長い時間が圧縮されている。あの頃りっちゃんの家の隣の空き地で見つけた種子や虫や草やプラスチックやガラス片やウサギの糞や、目には見えない微生物なども、特定廃棄物として焼却され、あるいは長い時間をかけて変容していく。中間貯蔵施設を眺める時、物質に圧縮された時間たちがきっといつか地層を形成し、原発事故の記憶を宿し続けてほしいと願わずにはいられなかった。1,600㎥の土壌が一つの場所に集積されている中間貯蔵施設には、処理された物質たちの堆積物が一面に散りばめられた異質な風景が広がっている。










(fig.1)環境省,「中間貯蔵施設の状況について」,2022年3月,p18


 2023年2月。夜の森は久しぶりに降った雪であたり一面真っ白になった。解体が進み、遠くまで見通せるようになったかつてのニュータウン。雪が積もると、いよいよ家と家の境界も曖昧になる。キュッキュと音を鳴らしながら雪に足跡を残す。踏むことによって露出した土にはぴょんぴょんと跳ねるトビムシが湧いていた。雪を食べ、春をもたらすとされているトビムシは、陸のプランクトンとも呼ばれていて、彼らを食べる虫もたくさんいる。「私もそこに混ざってもいいかな。」しんしんと積もる雪に声は吸収される。地中の生物たちは私たちに関係なく生き、時に土壌を育み、この地に時間を堆積させていく。


*1 1kgあたり1秒間に変化する原子核の量

*2 藤井一至「序論:生環境構築史からみる土」『生環境構築史 第2号特集:土政治—10年後の福島から』(2021) https://hbh.center/02-issue_02/



秋元 菜々美(あきもと ななみ )


photo by: 鈴木正也


1998年、福島県富岡町生まれ。早稲田大学人間科学部在籍。いわき総合高校で演劇を学び、東日本大震災を題材としたツアー等の表現を続けると共に、私たちは原発事故以後どう生きていくのかを考える学びの場を地域で作り続けている。活動を通して出会った劇ユニットhumunusとの繋がりから、富岡町に文化拠点「POTALA-亜窟」を整備した。

主な活動に、創作・出演したhumunusのツアープロジェクト「うつほの襞/漂流の景」(福島、2021—2022、出演した毒山凡太朗「igene」(福島、2021—2022)、広島市現代美術館/毒山凡太朗「Long Way Home」(広島、2023)など




秋元菜々美さん「攪拌する記憶」は、「石版と織物 Vol.2」でもお読みいただけます。





Web版編集:塗塀一海

助成:おおさか創造千島財団 創造的場づくり助成


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